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最終更新日:2016年12月08日(木)


篠津地域泥炭地開発


     石 狩 の 遺 産

戦後の大規模土地改良事業“篠津地域泥炭地開発”

 


 規則正しくならんでいる水田、緩やかな傾斜をもって広がる畑。

 これらは、開拓の鍬が入れられてから代々受け継がれただけで出来上がったものではありません。土地改良事業という公共事業の成果でもあります。
 公共事業といえば、河川、道路、港湾・空港・鉄道の整備がよく知られていますが、土地改良事業もそのひとつです。
土地改良事業とは、人が生きていくのに欠かすことができない食料を生産する農業を振興するために、作物を生産する田んぼや畑を整備して、作物がたくさんとれるようにしたり、農作業がしやすいようにしたりするものです。
 土地改良事業の事例として、石狩振興局管内で行われた大規模な土地改良事業である“篠津地域泥炭地開発”について、次に紹介します。


 第二次世界大戦後の北海道開発

 日本は、敗戦によって、千島・樺太・台湾・朝鮮・満州等の植民地を失いました。狭い国土に多くの国民を抱えたわが国は、「戦後の復興には、多くの未開発資源(例えば、土地・水・入植者など)を包蔵している北海道を開発することが国家的な見地から重要である」と考え、開発を総合的効率的に行うために昭和25年に北海道開発法を制定しました。そして、同年に、北海道開発を総合的に行う中央省庁である北海道開発庁(所在地:東京、平成13年の中央省庁再編により国土交通省に統合されました。)が、翌26年にその現地事務所である北海道開発局(所在地:札幌)が設置されました。
 なお、開発庁が設置されるまでは、各中央省庁が行う北海道開発を、各省庁の監督の下で道庁が代行して行っており、北海道開発は総合的効率的ではありませんでした。
 開発庁は、昭和26年に北海道総合開発計画と第一次五カ年計画を立てました。この五カ年計画の中で、「食料を増産するために石狩川下流域の開発に重点を置く」とされました。石狩川下流域は、道内でも最も温暖な地域に属し、平坦で、水も利用しやすいので選定されましたが、耕作するのに困難な泥炭地のため未開発のまま残されていました。しかし、「土地改良事業により、排水施設・かんがい施設を整備し、客土をすれば、この地域を完全な耕地とすることができる」との考えから生まれた計画でした。

 篠津地域泥炭地開発

 石狩川下流域の開発は、美唄・篠津・夕張・千歳・豊平・北空知の6地域から成る大事業となりました。
 篠津地域の開発は、昭和26年に国営かんがい排水事業として始まりました。当初は、排水施設として篠津運河を掘削し、排水路を整備するだけの事業でした。その後、敗戦国の復興のために組織された国際復興開発銀行(現在の世界銀行)からの借り入れなどを受けて、昭和31年に篠津地域泥炭地開発事業という総合開発事業になりました。
篠津地域は、江別市、当別町、月形町、新篠津村にまたがる石狩川右岸の11,400haの地域ですが、当時、ここは、2,800haの水田と7,000haの畑があり、1,600haは未開の原野でした。ここを、大水田地帯として開発するために、国、道そして関係市町村が、総事業費210億円(国営事業140億円、道営事業30億円、市町村営40億円)(当時の210億円は、現在の830億円に相当します)、20年の歳月をかけて、排水施設である篠津運河(用水・排水兼用施設)・排水機場・排水路の整備、かんがい施設であるダム・頭首工・揚水機場・用水路の整備、さらに、農道整備、暗渠排水、客土、防風林植栽、上水道整備、開墾などが行われ昭和46年に完了しました。
  



 
「篠津の泥炭」
泥炭は、植物の繊維を主成分とし、水を含んだスポンジのようなもので、耕作するのが困難です。
 

 

篠津泥炭写真02

 

篠津泥炭写真03










    

人をよせつけなかったかつての「篠津原野」

 篠津地域泥炭地開発でできた施設や工事の説明
 


篠津泥炭写真04 篠津泥炭写真05
 
「石狩川と石狩川頭首工と篠津運河」

 左が石狩川です。
 赤丸が、石狩川頭首工です。
 右にある石狩川に比べれば小さな川が篠津運河です。

 頭首工は、川の水位を上げて、水を篠津運河に取り入れます。

 篠津運河は、全長23kmです。頭首工から取り入れた水を水田に運びます。また、雨などで田畑にたまった水が排水路をとおって、篠津運河に流れてきます。つまり、運河は、用水路と排水路のはたらきをしています。下流は、石狩川と合流します。




篠津泥炭写真06 「中小屋揚水機場」

 篠津運河沿いには、5つの大きな揚水機場があります。
 運河は、周辺の水田よりも低いところを流れているので、揚水機場で運河の水を吸い上げて、用水路に水をのせて、用水路が水田に水を運びます。


 


篠津泥炭写真07 篠津泥炭写真08

「送泥客土」(左:送泥管、右:農地への泥散布状況)

泥炭地を豊かな耕作地にするには、ほかから良い土を持って来なければなりませんでした。
広大な泥炭地に、多量の土をいかに運ぶかが問題となり検討が重ねられた結果、山から運んできた土、篠津運河を掘ったときに出た土を集めて、それを泥状にして離れた田畑まで管で運ぶ送泥客土という方法が取られました。
送泥客土は、早く多くの量を運べる・夜間も作業ができる・天候の影響をあまり受けない・経済的であるなどの理由で採用されましたが、当時の全く新しい技術で技術上多くの問題が未解決でありました。



 その後の土地改良事業と篠津地域

 土地改良事業は、現在では、農業農村整備事業と呼ばれています。作物を生産する田んぼや畑の整備だけではなく、農村の生活環境の整備や農村の自然環境や景観の保全など魅力ある農村づくりを支援しています。
 また、篠津地域は、泥炭地開発事業後30年以上経過し施設が老朽化してきたことなどにより新たな農業農村整備事業が盛んに行われています。



資料の出所: 「篠津地域泥炭地開発事業誌」北海道開発局・札幌開発建設部・篠津地域開発事務所・編集


 

  ~ 情 報 ~

 篠津中央土地改良区内(当別町字金沢1363番地21)にある「泥炭資料館」へ行かれると更に詳しい泥炭地開発の歴史を学ぶことが出来ます。
 来館される場合は、「非営利法人 篠津泥炭農地環境保全の会」(TEL 0133-23-1903)へ連絡してください。